「えっ! こんなところで!」と驚いて、短い時間だけ立ち話をする。
その後、「また連絡するね」と軽く言って別れたけど、 あとからふと「もっとちゃんと話せばよかったな……」と思う。
または、アプリでたまたまマッチした人と会ってみたら、 思っていた以上に心が通じて、 「この出会い、なんだか特別だな」と感じる。
でも忙しさに流されて、 その後、連絡が途絶えてしまった……。
そんな経験、ありませんか?
九鬼周造さんが残した有名な言葉に、
「遇うて空しく過ぐる勿れ」(あいて むなしく すぐる なかれ)
『偶然性の問題』
というものがあります。
これは「偶然に出会った人を、大切にしなさい。 その出会いを空しく終わらせてはいけない」という意味です。
前章までで、私たちは偶然性が「自由」や「美」と深くつながっていることを学びました。
でも九鬼さんは、偶然性をただ頭で理解するだけでなく、 「人生の中で実際に生きるもの」として捉えていました。
その象徴が、この「遇うて空しく過ぐる勿れ」という言葉なのです。
偶然に出会った人(邂逅)を、 ただ「まあ、たまたまだったね」で終わらせてしまうのは、 せっかくの自由や美を、自分から手放してしまうことと同じです。
現代の例で考えてみましょう。
マッチングアプリで出会った人と、 最初は毎日メッセージをやり取りしていたのに、 少し忙しくなっただけで連絡が減り、 気づけば「既読スルー」が続いている……。
これは、まさに「遇うて空しく過ぐる」状態です。
逆に、 「この人との出会いは、きっと意味があるはず」と思って、 少し勇気を出して「また会いませんか?」と伝えてみる。
その一言が、人生を少しずつ変えていくきっかけになることもあります。
または、 仕事や趣味の集まりで偶然知り合った人と、 「また何かあったら連絡ください」と名刺を交換した後、 実際にその言葉通りに行動してみる。
こうした小さな「誠実さ」が、 偶然を「ただの偶然」から「自分の人生の一部」に変えていくのです。
九鬼さんがこの言葉を大切にした背景には、 「偶然は、ただ起きるものではなく、 私たちがどう受け止めるかで意味が変わる」という考えがあります。
出会った人を粗末に扱うことは、 自分自身の自由や可能性を粗末に扱うことにつながる。
逆に、偶然の出会いを丁寧に扱うことは、 自分の人生を丁寧に生きることと同じなのです。
あなたも、こんな経験をしたことはありませんか?
**「たまたま話した人から、思わぬアドバイスをもらって人生が変わった」
「昔の知り合いと再会して、久しぶりに本音で話せて心が軽くなった」
「アプリで偶然つながった人が、今の大切な友人になった」**
こうした出会いは、すべて「遇うて空しく過ぐる勿れ」の実践です。
忙しい毎日の中で、 「この出会いを、大切にしよう」と少し立ち止まるだけで、 人生の密度は確実に変わっていきます。
次章では、この「偶然の出会い」を、 令和のSNSやAI時代にどう活かしていくのかを、 より実践的に考えていきます。
デジタルの中で増える「仮想の出会い」と、 本物の「邂逅」をどう区別し、大切にするのか。
とても現代的なテーマです。お楽しみに!
あきら
🔗 プロフィール:https://discipline.tokyo/profile.php
📧 メール:akira@discipline.tokyo
📮 匿名相談フォーム:https://discipline.tokyo/contact.php
🏠 トップページ:https://discipline.tokyo/index.php
※本シリーズおよび関連コンテンツは、私の思索の結晶であり、著作権法により保護されています。引用の際は出典を明記いただけると幸いです。無断転載・商用利用はお断りしています。
© 2026 Akira All Rights Reserved.

QRコードで即追加 → 秘密の回廊が開く