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みなさん、こんにちは。あきらです。
内閣府のデータによれば、多くの人で65歳時点が資産のピークになります。
そこから少しずつ取り崩しが始まるものの、80歳を過ぎてもなお、資産の9割近くが残ったまま寿命を迎える人が少なくないといいます。
せっかく貯めた老後資金を、ほとんど使わないまま終わってしまう。
この事実を前にして、私たちは何を感じるでしょうか。
この問題をより深く考えるために、もう一つのデータに目を向ける必要があります。
人間の「活動能力」——健康、興味、創造性——は、45歳をピークに徐々に低下し始めます。
前頭葉は45歳頃から縮小し始め、将来やりたいと思っていたことへの「興味」そのものが、静かに薄れていく。
つまり、私たちは「体がまだ動く時期」にこそ、経験を積み重ねておく必要があるのに、経済的に余裕が生まれるのは、活動能力が低下し始めた後だということです。
「体が動く時期」と「お金が十分ある時期」が、人生のタイムラインの中でずれてしまう。
このずれこそが、多くの人が老後資金をほとんど使わないまま終わってしまう、根本的な理由の一つなのかもしれません。
ここで参考になるのが、『DIE WITH ZERO』で提唱されている「記憶の配当」という考え方です。
25歳で海外旅行をした記憶と、70歳で同じ旅行をした記憶とでは、その後に幸せを感じ続けられる期間が大きく異なります。
若い時に得た経験は、その後の長い人生の中で何度も思い出され、幸せを運んでくれる。
一方で、70歳になってから得た経験は、残された時間が短いため、「記憶の配当」を受け取る期間も短くなってしまう。
つまり、お金と時間を「いつ使うか」という選択は、単なる消費の問題ではなく、人生全体の幸福度を左右する、時間配分の問題でもあるのです。
頼藤太希さんは、「お金を完全に使い切ることは現実的には難しい」としながらも、使わないまま寿命を終えてしまうことへのもったいなさを指摘しています。
ここで問われているのは、単なるお金の使い方ではありません。
「自分の人生の中で、いつまでにお金と時間を使う覚悟を持てるか」という、時間に対する姿勢そのものです。
45歳を過ぎてから「いつかやりたい」と思っていたことが、徐々に「どうでもよくなっていく」感覚。
それは、単なる加齢のせいではなく、「体が動く時期」と「お金がある時期」がずれてしまった結果として、経験を先送りし続けた代償なのかもしれません。
老後資金を9割残したまま寿命が来る人たち。
その背景には、確かに「活動能力の低下」という生物学的な現実があります。
しかし同時に、「いつ使うか」を先送りし続けた、私たちの時間に対する姿勢もまた、影響を与えているのではないでしょうか。
あなたは今、「いつかやりたい」と思っていることを、どのくらい先送りにしていますか?
その「いつか」は、いつになったら「今」になるのでしょうか。
あきら
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